撮影行

DF50トップナンバー 四国鉄道文化館へ回送

2007年11月5日 DF50引退後長らく車籍ありで多度津工場に保存されていたDF501が西条市に貸与され四国鉄道文化館に展示されることとなった。本線上にDF501が出現するのは高松駅展示以来と思われ久しぶりである。回送はDE10重連に牽...
撮影地紹介

知られざるDF50撮影地 大王

今は亡き大王信号所のあった大杉-土佐北川間といえばこの撮影ポイントが鉄道グラフ雑誌Railguy 1980年4月号に掲載され一躍有名撮影地となった。が、大王はまだメディアで目にしたことがない隠れた撮影ポイントがあった。 大杉-土佐北川の一...
撮影行

DF5018 交通科学館から津山へ 2015年3月16日

2015年3月 交通科学館閉館にともないDF5018は津山機関区跡に開設される津山学びの博物館へ搬送された。 意外なルートの搬送の一部と津山駅構内での積み下ろし作業を紹介。
鉄道部品

国鉄末期の四国の区名札

 80年代後半の四国の区名札は 高 知 松 徳 の4種類でDF50にささっていたものはもちろん高松、高知のみであった。 宇和島の宇、小松島の小はDF50終焉時には廃止されていた。(小松島客貨車区は存在) デザイン、材質は...
鉄道部品

DF50文字ナンバー

SLや旧型電気機関車の「拓」ナンバープレートとはちがい文字を車体にねじ止めしただけのナンバー。 検査時の取付け取り外しの扱いも工場によってばらばらであるがゆえに、いろいろ考察できて実は興味深かったりする。 昔撮影した文字傷が手元のナンバーと一致したりすると歓喜である。
撮影行

さよならDF50 1983年9月25日 土讃本線

ついに国鉄本線上の最終営業列車の日がきてしまった。 一ヶ月前にイベント列車として運転されたDF50重連雑客の秘境号と比べると50系は物足りないがそんなことは言ってられない。 そして宮崎、亀山に合わせるかのように四国も雨の見送りとなった。
撮影地紹介

DF50貨物列車 魔の16時12分

とある撮影地の写真を仲間から見せてもらったときは衝撃的であった。 吉野川、穴内川沿いに鉄道、国道がうねっている三縄以南の土讃線は常にド電線ド電柱に悩まされる。 がこの撮影地は全くかぶっておらずしかも吉野川を画面いっぱいにとらえら...
コーヒーブレイク

ホットオレンジ

 現代に豊富に流通し、80年代になかったもののひとつにペットボトル飲料がある。 当時は水分にたいしては今とは違いあまり寛容的ではなかった。 中学高校の運動部などは水を補給しないのが美学でさえあった。 それでも夏の灼熱の中で現代...
コーヒーブレイク

繁藤のカッパえびせん

四国の撮影旅行では食事の楽しみは全くなかった。 食べることよりフィルム購入が優先されたからで、極力最小限の食事しかとれなかったからである。 思い出せるたべものといえば、高松駅(220円)と連絡船の少し黄色がかったプラ容器には...
撮影行

DF50撮影行1980年8月14日-16日 坪尻・箸蔵・多度津

亀山のDF50亡き後、はじめて本格的に四国へ撮影へ。 といっても当時撮影地といえば、坪尻・大歩危ぐらいしか知らなかったが これを機に徐々に未開の地、特に土讃本線にのめりこんでいくことになる。 ■1980年 8月14日 新大阪 23:...
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